「何を言ったか」よりも、「誰が言ったか」

NHKの番組「奇跡のレッスン」が好きです。
サブタイトルは、「世界の最強コーチと子どもたち」
ラグビーのエディー・ジョーンズ元日本代表監督や、ロシア新体操ナショナルチームの元コーチなど、サブタイトル通り世界最強のコーチが来日し、日本の子供たちに一週間コーチをします。
一週間で子どもたちの表情が変わり、行動が変わり、結果が変わるのを見ると、毎回感動させられます。

しかし一方で、気になることもあります。
普段その子どもたちを指導しているコーチのことです。
最強コーチの指導を、傍でどんな思いで見ているのか、最強コーチが帰国した後どんな指導をするのか。
最強コーチの言葉を取り入れて、それまでとは違う言葉で指導をするのか。

先日観た回では、世界最高峰と言われる米国イースト・ウインドマン・アンサンブルの現役指揮者が、埼玉の中学のブラスバンド部を指導していました。
その中で最強コーチが強調していたのは
「自分の音より、人にやさしく」
自分の演奏に集中しすぎないで、周囲の人を生かす演奏をしよう。
この言葉が子どもたちを変え、演奏を変えていきます。

でもこの言葉って、特別なものでも珍しいものでもないでしょう。
音楽の先生であれば誰でも、それに近いことを言っているのではないでしょうか。

以前、似たようなエピソードを雑誌で読んだことがあります。
松下幸之助翁の講演の最後に、聴衆から部下の指導法について質問されたとき、
「それはね、部下の悪いとこばかり見るのではなく、いい所をしっかり見てやることだよ」
と答え、会場内の人々は一斉に大きくうなずいたとか。
その雑誌の筆者は、よくよく考えれば特別な答えではなかったけれども、松下幸之助翁が発すると聴衆の納得度が格段に上がる、と書いていました。

つまり聞く側の納得度については、「何を言ったか」よりも、「誰が言ったか」が重要なのです。
これはビジネスでもプライベートでも、相手の納得度を高めるためには知っておかなければならない真実です。
例えば、自分のスペシャリティ(専門性)が相手に認められていると感じるなら、その分野については「自分の意見」をハッキリしっかり話せば、相手の納得度は上がるでしょう。
しかし、相手に認められていない分野について、「自分の意見」をハッキリしっかり述べることは、相手にとって不快なことかも知れません。
この場合、話が正しいか間違っているかは関係ありません

自分にスペシャリティが無い部門については、スペシャリティのある人の話として伝えた方が相手の納得度は上がります
しかもこちらを「謙虚」「勉強熱心」と見てくれる「おまけ」がつくかも知れません。

「誰が言ったか」を会話にうまく取り入れることは、ビジネスを円滑に進めるうえで、非常に役に立つコミュニケーションスキルです。

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