「引きこもり」と最低賃金

最近ニュースで頻繁に、「引きこもり」という言葉を耳にします。
「引きこもり」の男性が、通学途中の小学生を襲った。
「引きこもり」の息子に繰り返し家庭内暴力を受けた親が、息子を殺害した。
また、「引きこもり」そのものが、「8050問題」と称する大きな社会問題として採り上げられたり。

その昔、「引きこもり」は「不登校」とほぼ同義語でした。
しかし今や、「引きこもり」は中高年がメインゾーンになっているのだとか。
10代の子たちの「引きこもり」は学校に行かないことでした。
とすると、中高年の「引きこもり」は、仕事に就かないこと、会社に行かないこと、になります。
逆に言えば、「引きこもり」から立ち直るというのは、仕事に就く、会社に行く、ということでしょう。

そう考えると、この大きな社会問題を小さくしていくためには、日本中の会社の協力が不可欠です。
「引きこもり」の人たちに幅広く働く機会を用意する、幅広い働き方を許容するという協力です。
通勤でも在宅でも可。
1ヶ月のうち20日出勤でも5日出勤でも可。
1日あたり8時間労働でも3時間労働でも可。
専門的な仕事もあれば、単純作業の仕事もあり。

ところで、そういう雇用にも会社は最低賃金を支払わなければならないのでしょうか。
最低賃金を巡る今の趨勢は、全国一斉に引上げ、全国一律1000円以上にする、といった感じです。
この最低賃金の引上げに関するニュースを見るたびに、モヤモヤした気持ちになります。

何とか「引きこもり」から脱して仕事に就きたい、切実にそう思う本人やその家族にとって、最低賃金なんてどうでもいいでしょう。
例えば、今の自分でも出来そうな時給500円の仕事を見つけて、何年かぶりにドキドキしながら仕事に向かう40代の息子
その70代の両親は、出勤する息子を涙ながらに見送るでしょう。
その涙は、時給が安いから泣いているのではありません。

「引きこもり」を引き合いに出して、最低賃金の引き上げにケチをつけているわけではありません。
「引きこもり」に限らず、主婦、高齢者、障碍者など今働いていない人たちを社会に引っ張り出すために必要なのは、最低賃金の引き上げではなく、幅広い雇用形態だと思うのです。
賃金を上げることは働く人にとって間違いなく良いことです。
しかし最低賃金を上げることは、それによってハードルが上がり、雇用の機会・形態が減るなら、良いことではありません。

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