松浦輝夫さんを偲ぶ

 

これまで数々の失敗をしてきましたが、その中で群を抜いてマヌケで、忘れられない失敗があります。

私が会員になっているゴルフ場では、8年前まで毎年女子プロのトーナメントが開催されていました。
今からちょうど10年前の大会、私はボランティアで「スコアラー」を担当しました。
スコアラーというのは、特定の組について回り、その組3選手のショット一打一打の記録を、ハンディターミナルに打ち込む役割です。
打数だけでなく、打球がフェアウェイに行ったのか、ラフやバンカーに行ったのかも打ち込みます。
そのデータは大会のスコアボードにリアルタイムで反映され、同時に「日本女子プロゴルフ協会」の管理データとして蓄積されるのです。

その年、会員の中でもう一人スコアラーをした人がいました。
70過ぎで、色白で、細くて、ひょろっと背の高いおじいさん。
屈強な感じの方ではないので、私は
「(1ラウンドずっと歩きになりますが) 大丈夫ですか」
と声を掛けました。
するとその方は、ニコニコとやさしい笑顔で、「大丈夫ですよ」と返事をされました。

後で知ったのですが、その方は日本で初めてエベレストの登頂に成功された「松浦輝夫さん」だったのです。
1970年5月、日本山岳会エベレスト登山隊で、西稜ルートリーダーとして、植村直己さんとともに登頂された方です。

エベレストに登った方に、1ラウンド歩くのが大丈夫か、訊いてしまうとは‥‥。
後日、私はそのことを松浦さんに謝ったのですが、いつものやさしい笑顔で、「いえいえ」と応えていただきました。

それ以来、松浦さんは会うたびに少しずつ、山についての話をしてくださいました
一緒にラウンドした昼食で、
「8,000メートルでの呼吸ってどんな感じなんですか」
と率直に尋ねると
「そうねえ、子供の頃プールで、息継ぎしないで泳げるとこまで思いっきり我慢して泳いだことあるでしょ。
それでもうこれ以上無理っていうところで顔を上げようと思ったら、友達に頭を押さえられて水の中でもがいてる、って感じやねえ」
と答えていただきました。

私がいつも興味深そうに聞いていたせいか、
「こんな話で良かったら、会社でもどこでも話をしに行くよ」
とも仰っていただきました。
「いつかお願いしよう」、と思いつつその機会をつくれないまま、2年前に松浦さんは他界されました。

謙虚で穏やかで親しみやすい人柄と、「偉業」とのギャップがとても魅力的な松浦さんでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)