高野山の先生の「ありがたい話」

 

もう何年も前に高野山の偉い方(だったと思います)の講演を聴いて、印象的だった話があります。

こんな話でした。
大勢の前で説法をしても、全員に同じように聞こえているわけではない。
実際、同じ話を同時に聞いたにもかかわらず、聞き手によって心に残った部分はさまざま。
ある人は「悲しい話」と受け取り、別の人は「恥ずかしい話」と受け取り、また別の人は「痛快な話」と受け取る。
またある人は、その話から何も受け取っていない。

それはちょうど、ラジオに似ている。
私たちの周りには、目に見えないけど、たくさんのラジオの電波が飛び交っている。
でもそれはラジオのスイッチをオンにしなければ聞こえない
説法を聞いても何も受け取っていない人は、ラジオをオフにしているのだ。
ラジオをオンにしている人たちも、自分がどこにチューニングしているかで、聞こえるものが違うのだ。」

私たちは、自分が話したことは全部とは言わないまでも、7割程度は相手に伝わっていると考えてしまいます。
しかしどれだけ伝わったかは、聞き手のラジオ次第なのです。
本当に相手に何かを伝えたいなら、相手のラジオがオンになっているかよく確認する必要があります。
話しながら相手のスイッチの場所も探さなくてはいけないのです。
見つけたら、こちらからそのスイッチに手を伸ばしてオンにできたらいいのですが・・・・。

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