サービス残業排除を阻むもの

サービス残業排除を阻むもの

その昔、終業時間のチャイムと同時に、パタンと帳簿を閉じて、そそくさと退勤する社員は、「不真面目な社員」とみなされました。
仕事に対する情熱がない、愛社精神がない、協調性がない、向上心がない、と。

かといってそんな時代には、サービス残業が当たり前、残業代が満額支給されることはありませんでした。
しかし今はコンプライアンスが絶対の時代。
社員が1分でも残っていれば、会社は1分分(ぷんぶん)の残業代を支払うのが原則です。
この「1分」については、労働基準法にズバリ書いてあるわけではありません。
厚労省の通達にもありません。
書いてあるのは、労働問題を取り扱う弁護士さんや社労士さんの「労働者向け」サイトです。
「労働基準法には10分や15分といった短い残業時間を切り捨てていいとは書いてありません。だからみなさんは、1分単位で会社に残業代を請求できるのですよ」
と。

労働者側にそういう認識が広がる一方、中小企業では過去からの慣習をそのまま踏襲している会社がまだまだ多くあります。
例えば、日々の残業時間の30分未満を切り捨てたり。
これはダメです。
労働基準法の規定で切り捨てていいのは、1分単位の残業を月合計した時間の30分未満の部分だけ。
また、会社が残業の「事前承認制度」を取っているからといって、超過した残業時間を切り捨てる、のもダメ。
だからと言ってタイムカードだけ定刻に押させるのも絶対ダメ。
社員が勝手に残っていただけという会社の言い分も、労働訴訟では認められにくいでしょう。

中小企業にも総残業時間の管理は徹底されてきました。
次に徹底すべきはサービス残業の排除でしょう。
残業する日、しない日で仕事にメリハリをつけ、しない日は終業チャイムと同時に帰ってもらうのが一番です。
そう、冒頭の終業チャイムと同時に退勤する社員のように。
昔の「不真面目」が、今は「模範」です。

では、社員の定時退勤を促す一番有効な方法は何か。
それは管理職が終業チャイムと同時にノートパソコンをパタンと閉めて帰ることです。
管理職が、昔と同じ感覚で、定時に帰る社員を見てモヤモヤした気持ちになるようでは、サービス残業の排除には程遠いでしょう。

警備会社の「集配金サービス」から学んだこと

警備会社の「集配金サービス」から学んだこと

以前警備会社と「集配金サービス」の契約をしたときのこと、ちょっとした気づきがありました。
「集配金サービス」は、小売店などに売上金を取りに来て、銀行に入金してくれるサービスですね。
「集配金」というくらいですから、集金だけでなく、準備金用にあらかじめ指定した金種で「配金」もしてくれます。

毎日、(休みなく) 集配金をする条件で、警備会社から提示された手数料は、月10万円。
こちらは少しでも安くしたいので、週4日だったらいくらになるか訊きました。
すると警備会社担当者の回答は、「毎日」と同じ10万円。
えっ、日数を減らしても安くならないの?

担当者曰く警備会社としては、集配金は毎日、年365日やりたいのだそう。
そうすれば、集配金するガードマン(?)の作業が毎日同じになる。
毎日同じ店に、同じ金種を用意して訪問、同じぐらいの量の売上金を預かって同じ処理で入金する。
これが週4日だったらどうなるか。
例えば集配金日が月・水・金・土だと、配金する準備金が2日分だったり1日分だったり複雑になってしまいます。
複雑になると作業効率は下がるうえに、間違える危険性も高くなる。

これは一つの店だけの話ですが、集配金するすべての店が「毎日」になれば、訪問ルートも毎日同じになります。
訪問ルートが同じなら訪問時間も同じになるでしょう。
これは警備会社にとって極めて効率的で、間違いも最小化するパターンなのです。

私たちはつい「回数を減らす」「まとめる」ことが効率を上げる、と直感的に思ってしまいます。
しかし必ずしもそうではないことを、この「集配金サービス」で学ぶことができました。

儲かっているときは、石垣の小石を抜いてはいけない

儲かっているときは、石垣の小石を抜いてはいけない

儲かっている中小企業、強い中小企業の利益構造をイメージするなら、それは上手に積まれた「石垣」です。
大きい石の間に小さい石を上手に詰め込んだ石垣。
コンクリートを流し込まなくても、百年以上風雪に耐えている「石垣」。
この場合の「石」とは、「製品」であったり「顧客」であったり「仕事」であったり、です。

例えば、ある製造業の中小企業A社は、10種類の製品を作っているとします。
その中で「主力製品」は2種類、これだけで全体の売上の80%を占めています。
残りの「非主力製品」8種類で売上の20%
いわゆる「パレートの法則」です。
現実、主力・非主力のバランスがこうなっている会社は多いでしょう。
「石垣」に言い換えると、「大きな石」が数では2割だけど占有面積は8割、その隙間に詰められた「小さな石」は数では8割だけど占有面積は2割。

「パレートの法則」では、占有率の高い2割の「製品」「顧客」を大切にしなさい、と説きます。
しかし中小企業は、それを100%真に受けてはいけません
なぜか。
例えば前出のA社の利益構造が、
2種類の主力製品の「直接粗利」だけで、会社全体の「間接費」を賄っているとします。
そうすると「非主力製品」の「直接粗利」はそのまま会社の利益として残ることになります。
一見小さく見える「非主力製品」の「直接粗利」も、そのまま残るのであれば、会社にとって大きなインパクトになります。
※直接粗利-間接費=営業利益

これをもっと具体的に、工場の製造ラインでイメージします。
A社では2種類の主力製品を優先した製造ラインを作っているでしょう。
非主力製品はそのラインの隙間で製造しています。
パレートが言うように主力製品に特化してその売上を伸ばそうとすると、製造ラインの大掛かりな拡張が必要になります。
主力製品を増やせば、製造ラインの隙間も増えるかもしれません。

中小企業では常に「人・モノ・カネ」が不足しています。
限られた資源、限られたキャパシティの中で利益を最大にするには、キャパシティの中をフル稼働させるのが最も確実に利益を出す方法です。
隙間を埋めてフル稼働に近づけているのは、「小さな石」です。
ですから、儲かっているときは「小さな石」を軽視して簡単に抜いてはいけません。

儲かっている中小企業、強い中小企業は、「大きな石」と「小さな石」の積み方が上手なのです。

百貨店退店の跡に誘致すべきもの

百貨店退店の跡に誘致すべきもの

百貨店退店の跡に誘致すべきもの、それはイオンではなく「会社(オフィス)」です。

関西の自宅のすぐそばにある百貨店が、再来月8月に閉店します。
バブル直前の平成元年、市のニュータウン開発の計画に沿って、その中心駅に出店した百貨店。
あれから30年あまり。
「企業の寿命30年説」というのがありますが、この30年は企業よりも「流通」の世界の方が環境が激変しているように思えます。

百貨店が退店に追い込まれた理由、これは誰でもすぐに挙げることができるでしょう。
イオンモールの全国展開
ニュータウンの高齢化
若者のブランド離れ
ネット通販の台頭
などなどなど。

百貨店が閉まると、地元では必ず次の商業施設を待ち望む声が上がります。
これを好機ととらえ、もっと魅力のある商業施設を誘致したいと。
百貨店が退店に追い込まれる理由をいくつも挙げておきながら、その一方で次の商業施設を待ち望む。
矛盾しています。
個人消費が枯れた場所では業態を変えたところで、いい結果はまず出ないでしょう。

百貨店が退店した後に誘致すべきは、「会社」と考えます。
百貨店の地下と1階は比較的健在ですから、それは残し、2階以上をオフィスにする。
つまり、「消費する場」を「働く場」に変えるのです。

「個人の支出」と「会社の支出」は、仕組みが違います。
会社はまず「支出」をしてから稼ぎます。
逆に、個人はまず稼いでから「支出」します。
ですから個人消費が枯れているなら、まず稼ぐ場所を与えるべきでしょう。

何も大きな会社を誘致する必要はありません。
郊外の百貨店の周りはすべて住宅地です。
百貨店跡がオフィスになれば、そのまま「職住近接」です。
新型コロナ禍を経験し、その後の「ニューノーマル」を模索する過程で、リモート、サテライトオフィス、コワーキングスペースなど、「職住近接」の需要は高まるでしょう。

「働く場」が充実し、そこに人が行き来するようになる。
「消費の場」が必要になってくるのはそれからです。

新型コロナウイルス禍の先にあるもの

新型コロナウイルス禍の先にあるもの

7都府県対象に緊急事態宣言が発出され、新型コロナウイルスの感染拡大食い止めは佳境に入りました。
「神は乗り越えられる試練しか与えない。」
今はこの言葉を信じて、ひたすら「3密を避ける」ほかありません。

この新型コロナウイルス禍が終息した後、私たちの仕事や生活、またその根底にある考え方にどんな変化が起きるのでしょう。
いろんな変化が起きることは想像できますが、その変化の中心にあるテーマは、やはり「3密を避ける」ことではないでしょうか。
現に、佳境に入った今でさえ出来る対策が「3密を避ける」ことしかないのですから、終息してからも将来に向けて改善できることは「3密を避ける」ことしかないのです。
当初発生原因とされた中国の食生活を改善したところで、将来に向けた対策にはなりません。
これから完成するワクチンも、将来発生するウイルスに向けた対策にはならないでしょう。

新型コロナウイルスは、私たちの生活に対し、「密集しすぎ」「密閉しすぎ」「密接しすぎ」ということを警告してくれているのです。
この禍が最終どれだけの犠牲を強いるのか分かりませんが、その犠牲の大きさだけその警告をしっかり受け止め、禍が過ぎた後も忘れてはいけません。

新型コロナウイルス禍の先にあるのは「3密」を薄めていく変革でしょう。
満員電車で一斉に都心に向かう様子は「3密」の象徴です。
これだけネット環境が整いながら、仕事も学校も「同じ時間に同じ場所に人を集めなければ前に進めない」、という体質は変えなければなりません。
仕事の仕方については、その気になればいくらでも「3密」を薄める手はあるでしょう。
そしてそれらはビジネスの種になるかもしれません。

大きな社会テーマとしては、大都市と地方の役割分担の見直しもあるでしょう。
私たちの会社(製造工場)は、本州最西端の大規模産業団地の一角にあります。
この5年ほどの間に、この産業団地に国内でもっとも注目されている医療機器メーカーや製薬会社の工場進出がありました。
この進出は東日本大震災後の地理的リスクの分散が主目的と思われます。
東に何かあっても西が大丈夫、またその逆も然り。
しかし、この工場進出は今のところ、新型コロナウイルス禍に対する想定外のリスクヘッジにもなっています。
「3密」という想定しなかったリスクのヘッジです。

今私たちが取り組んでいる3密対策は、禍の後の社会変革にも直結している。
そう考えながらこの難局を乗り越えましょう。