「モノ消費からコト消費へ」、は間違っている

「モノ消費からコト消費へ」、は間違っている

 

最近のマーケティングで前提になっているのは、消費者の志向が、「モノ消費からコト消費へ」移行したという考え方です。
欲しいモノはほぼ手に入れた消費者は、モノよりもコト(体験)に重きを置くようになった、と。

確かにこの5年くらいは、アパレルなど小売業が大苦戦する一方で、音楽ライブや野球観戦のマーケットは急拡大しています。
音楽ライブのマーケット規模は2016年で3370億、過去5年間で2倍に急成長しています。
CDなど音楽ソフトのマーケット規模が同期間に13%縮小していることを考えれば、確かに「モノ消費からコト消費へ」移行しているように見えます。

野球観戦もそうです。
2016年のセ・パ両リーグの入場者数は2,298万人、5年間で6.5%増、10年間で12.6%増と、各球場盛り上がっています。

しかしこれらが「モノ消費からコト消費へ」移行したためとは思えません。
なぜか。
それは単純に、人間がたった5年間で性質が大きく変わるとは思えないからです。
これらはただ単にインターネット、スマホの浸透のせいでしょう。
インターネット普及から20年、スマホの普及から10年、この間にとにかく「チケット」が予約しやすくなりました
どのアーチストがいつどこでライブをするのか、その空席状況も簡単に分かります。
分かればその場で購入できます。
この今では当たり前のことが、20年前には非常に難しいことでした。

「コト消費」が増えているのは、ただそれだけのことではないでしょうか。
スマホが20年前に登場していたら、コト消費もそれだけ前倒しに増えていたでしょう。
決して消費者の志向が「モノ消費からコト消費に」移行したわけではありません。
もし消費者に金銭的余裕がもっとあれば、コト消費をした上にモノ消費もするでしょう。
所得が増えない状況で、コト消費の増加がモノ消費を押し出している、というのが現実ではないでしょうか。

繰り返しますが、消費者の志向・性質が変わったわけではありません。
今後モノ消費が盛り上がる可能性も当たり前にあります。

セブンイレブンが、若者の地方移住を促進する

地方移住

 

日本全国どこに行っても、老若男女すべての人が「そこそこ」オシャレになり、極端に田舎っぽい人はいなくなりました。
それは「ユニクロ」のおかげではないでしょうか。

私が高校生だった1980年代、都会と地方のファッション感度には大きな開きがありました。
高校3年の冬、私立大学の受験で初めて一人で神戸に行った時のこと。
受験に来ている関西の女子高生たちを見て、地元広島の同級生とのあまりの違いに衝撃を受けました。
ゆるく巻いた長い髪にコンサバ系ファッション、都会の女子高生はこちらが気後れするほど、大人っぽくてきれいでした。
それまで、女子高生は「聖子ちゃんカット」で「スケバンロングスカート」を履くものと思っていた私は、その時初めて都会と地方の「格差」を強く認識しました。
(もちろん、自分たち男子の方がもっと格差があったと思いますが)

しかし、今の高校生はそんな経験をすることはないでしょう。
今は都会と地方で、そこまでの格差はありません。
全国津々浦々のロードサイドに「ユニクロ」が出来てからは、ユニクロに行きさえすれば、若者からお年寄りまですべての人が、「そこそこ」オシャレで間違いのない服を着られるようになったのですから。
ユニクロが地方のファッション感度を底上げしたのです。

同じことが「食」の世界でも起きています。
全国津々浦々にセブンイレブンが出店し、そこに行きさえすれば、「そこそこ」美味しくて間違いのないスイーツを買えるようになりました。
セブンが地方のスイーツレベルを底上げしたのです。

ユニクロやセブンイレブン、しまむら、マクドナルド、スシロー、牛角、王将など、全国チェーンの店舗のおかげで、私たち消費者は全国どこに住んでも、「そこそこ」の「衣食」を揃えることができるようになりました。
この「そこそこ」は、非常に重要です。
「そこそこ」の生活が確保できるなら、「住んでもいい」と思えるからです。
「そこそこ」の生活が確保できるなら、その上に望むものは人それぞれです。
もっとスペシャルなファッションやスイーツがある都会での生活を望む人もいれば、自然に囲まれて暮らしたい人、農業にチャレンジしたい人、子供を静かな環境で育てたい人、安くゴルフできる地域に住みたい人、生まれ育った地方に帰りたい人などなど、必ずしも都会に住みたい人ばかりではありません。
かといって、いくら農業がしたい、自然に囲まれて暮らしたいという人でも、今さらポットン便所での生活はしたくないでしょう。
田舎暮らしでも「そこそこ」は譲れないのです。

全国津々浦々まで「そこそこ」の生活が保証された今、若者が自分のスペシャルを求めて地方移住するケースが増えることも十分考えられます。

神戸製鋼で懸念されるのは、コンプライアンスだけじゃない

神戸製鋼で懸念されるべきは、コンプライアンスだけじゃない

 

神戸製鋼所の製品データ改ざん問題はますます深く大きく拡がっています。
「神戸製鋼、とんでもないなー」
と言いながらも、同時に
「まあそれで作った新幹線や飛行機には問題ないんでしょ」
私たち日本人は、日本メーカーに身びいきな考え方をしてしまいます

それは、この神戸製鋼の問題を「コンプライアンス(法令順守)」の問題、「ガバナンス(企業統治)」の問題と考えているからでしょう。
新聞やニュースのニュアンスもそんな感じです。
確かに、神戸製鋼のコンプライアンスは信じがたいほど酷いです。
しかし同時にチェックしておかなくてはいけないことは、「技術力」です。

なぜ検査データを改ざんしなくてはいけないのか。
それは製品検査の数値が悪いからです。
お客と取り決めた数値が安定的に出ないからです。
そう考えると、神戸製鋼の「技術力」に懐疑的にならざるを得ません
技術力が追いつかないからデータを改ざんせざるを得ないのか。
データを改ざんするから、技術力が向上しないのか。
いずれにしても、神戸製鋼には取引先が期待するだけの技術が無いのかも知れません。

もしそうならこの先、神戸製鋼が信頼回復・業績回復する道筋は非常にきびしいものになるでしょう。
コンプライアンスやガバナンスは組織と人を入れ替えれば、それなりに即改善できます。
しかし製品の品質を上げるための技術はそんなに短期間に得ることは出来ないからです。

そもそも私たち日本人は、日本メーカーに過度の信頼と期待を持ちすぎているのかもしれません。
東芝のようにガバナンスで間違いを起こすことはあっても、日本メーカーの技術や品質には間違いはないと。
韓国や中国に負けるはずはないと。
この私たち日本人の「日本メーカーへの妄信」は、皮肉なことに日本メーカーの甘えにつながっているのかも知れません、
一度捨てましょう。

「モノわかりの悪い人間」を演じることができるか

「モノわかりの悪い人間」を演じることができるか

 

私の部下の一人は、入社して15年、非常に優秀です。
地元の国立大卒で、適度なスポーツマンで見た目も爽やかでハンサム(イケメン)。
経理・人事・総務の中心的な役割を担い、現場(工場)の社員にも信頼されています。
私が下世話な話をして水を向けても、他人の悪口は言いません。
よくデキる部下がいて本当に助かっています。
しかし一つ物足りないことがあります。
それは、「モノわかりの悪い人間」を演じることができないことです。

「モノわかりの悪い人間」を演じることは、ときに必要です。
例えば、工場内の大型レーザーが突然稼働停止したとします。
まだ導入して数週間、原因は不明ですが、こちらの運転ミスではなさそう。
当然、そのメーカーに電話することになります。
状況を伝え、早く修理に来てほしいと頼みます。
しかしメーカーはスタッフが出張中で早くても2日後の修理になるとの返事。

ここからこちらは「モノわかりの悪い人間」を演じなければいけません。
こちらはレーザーが止まったら、それから先の工程すべてが遅れてしまいます。
月に21日程度の稼働日数しかない工場で2日のレーザー停止は大きな打撃です。
メーカー側の人的な状況をある程度理解したとしても、「モノわかりの良い人間」になってはいけません。
「あー、そうですか。じゃあ出来るだけ早くお願いします」
などと簡単に言ってはいけないのです。

不具合の原因がメーカー側の責任であれば、しつこくそれを訴えて、出来るだけ早く修理に来るよう頼み倒します。
「2日後と言われても、納入先のお客さんは今でも催促して来てるんです。
お客さんにウチはどう説明したらいいんですか。
まだ買ったばかりで、それもそちらに勧められて入れた機械ですよ。
何で2日も製造できない状態で待たなきゃいけないんですか」
本当はそこまで逼迫した状況ではこちらもないとしても、稼働停止が長くなればそれだけ損失が増えるのであれば、これくらいは主張しなければなりません。

これまでの経験で言えば、「モノわかりの悪い人間」を演じれば、ほぼすべてのケースで相手の対応が早くなります
なぜなら相手には必ずバッファーがあるからです。
2日後という回答であれば、その期限にいくらかは保険をかけています。
さらにその気になれば、仕事の順番を入れ替えて早く来ることも出来るかも知れません。
こちらに非が無いときは、自社の損失を最小限にするために、時として「モノわかりの悪い人間」演じることが必要なのです。
また、それは一つの「交渉スキル」でもあるのです。

では、こちらに非がある場合はどうか。
その時はひたすら頭を下げて、粘り強くお願いするのみです。
結局、非があっても無くても、簡単に引き下がってはいけない、ということです。

儲からない会社の、「おカネの遣い方」

儲からない会社の、「おカネの遣い方」

 

以前、二十代後半の女性社員が、
「最近友達の結婚式が続いて、出費がすごいんです。
毎日頑張って節約してるのが馬鹿らしくなってきます。」
と嘆いていました。
一人暮らしの彼女は、家賃をはじめ生活費をすべて自分で支払い、その中でコツコツと将来の結婚資金を貯めているのだそう。
お昼も外食はもっての外、毎日自分で作った弁当を持参、机で済ませます。
そうしてコツコツ貯めたお金がドーン、ドーンと出ていく
「節約が馬鹿らしくなる」という彼女の気持ちも理解できます。

しかしヤケになってはいけません。
ヤケになって節約をやめ、放漫なカネ遣いをしてしまうと、一気に奈落の底です。
「祝儀の3万円」は、避けられない接待交際費であり、金額も妥当です。
ムダ遣いではありません。
「毎日弁当で節約する500円」は経常的なランニングコストを削減する、これも評価できるアクションです。
両方ともまったく問題のない、正しいおカネの遣い方です。
このように、おカネの遣い方は、金額の大小ではなく、遣い道ごとに評価され管理されるべきものなのです。

もう一つ、パチンコにハマる主婦の話。
パチンコ愛好家の主婦の中で、ある程度の枠の中で遊べる人と、枠を超えて破滅に向かう人がいます。
破滅型の主婦の特徴は、パチンコでの勝ち負けを繰り返す中で、パチンコの収支と家計費がごっちゃになってしまうことです。
日に7万勝ったり10万負けたりを繰り返すうちに、50円安いスーパーを探す気が無くなるのです。
節約なんかしなくても、パチンコに勝てばいい。
そんな節約したって、パチンコに負けたら何の足しにもならない。
このように、金額の大きいパチンコと、小さい家計費を分けて管理できなくなると、破滅に向かいます。

中小企業のおカネの遣い方にも通じるところがあります。
大きなおカネを遣うときはそれなりに慎重に検討するのに、少額の支払いには無頓着な会社があります。
このような会社は「儲からない会社」です。
社内規則で、1万円以上の支払いだけ稟議をする、といった金額基準を設けている会社は多いでしょう。
これは実務的に仕方のないことではありますが、1万円未満の支払いの中にもムダな経費、不正な支払いがないか目を光らせなくてはいけません。
それができない会社は、「儲からない会社」に転落します。

冒頭の彼女は、毎日500円節約するから、祝儀の3万円を払えるのです