働く人の、「最大の権利」とは

働く人の、「最大の権利」とは

 

働く人の最大の権利は、「会社を辞める」権利ではないでしょうか。
この権利を一度行使すると、会社からいなくなるわけですから、「最初で最後で最大の権利」です。

職場でガタガタあって、「辞めたい」と言い出した社員と面接することがあります。
一通り話を聞いた後、私はこの「辞める権利」について話をします。

「社員にとって最大の権利は、いつでも会社を辞められることだよ。
退職を申し出れば、1か月後には辞めることが出来る。
担当業務が今どんな状況であれ、原則辞めることが出来る。
会社は、社員に突然辞められるとすごく困る。
でもそんなことは、辞める人にとっては知ったこっちゃない。
むしろ最後くらい会社を困らせてやろうと思うなら、突然の退職は効果的だね」
とチクリ。

その上で
「ただ、いつでも辞めることが出来るんだから、慌てなくてもいいんじゃないか
最大の権利を行使する前に、何か出来ることはないか。
今起きてるガタガタは、最大の権利を行使するに値するものか」
と問います。

引き留め工作です。
しかし残念ながらこれが効いて考え直すのは5人に1人くらいでしょうか。
申し出をした時には、次の仕事場を決めている人が大半なので仕方ありません。

ただ私は、辞めるにしても残るにしても、社員には常に強い権利があることを知っておいてもらいたいのです。
一般的に社員は、会社に支配されているような感覚でいます。
しかし本当は会社も社員に大事なところを握られているのです。
会社と社員はお互いフェアな関係です。
会社は社員を採用して育て、育った社員は会社を牽引する。

社員は会社を辞めることもできるし、牽引することもできる。
それは社員の意思次第であり、会社の支配などありません。
そのことに気づいてもらいたいのです。

「サザエさん」のアップデート

「サザエさん」のアップデート

 

久しぶりに「サザエさん」を観ました。
久しぶりに見ると、いろんな人の声が変わっていて少し寂しい気持ちになりました。
それでも、テレビ離れが進む現在でも視聴率は10%以上をキープ。
東芝が手放せないわけです。

「サザエさん」を観ていて、だんだん気になってきたのは、時代のズレです。
よく言われる、
「波平さんが54歳には見えない」
「穴子くんが27歳とは老けすぎてる」
といったことは大きな問題ではありません。
問題は、波平さんが会社から帰ると和服に着替えることです。
それとフネさんも朝起きたらすぐ和服
私たちの親の世代でも、和服に着替える人はほとんどいませんでしたが、ドラマやアニメの中では違和感なく受け取ることができました。
それから40年以上たった今、さすがに限界を感じます。

「サザエさん」の漫画は1946年から、アニメは1969年から始まったとのこと。
この国民的漫画はすべての国民に寄り添ってきました。
特にアニメは、日曜18時半という国民の大半がブルーな気持ちになる時間帯に放送されるため、「サザエさんシンドローム」と言う言葉まで誕生しました。
「マスオさん状態」というのも、ずいぶん前から一般的な言葉になっています。

しかし実際には、こんなに明るくて隠し事のない家族は、日本に1軒もないでしょう。
その意味では、「サザエさん一家」は決して日本の「平均的な家族」ではありません。
それは日本人が思い描く、「理想的な家族」なのではないでしょうか。
この理想形は、そのまま今後も長く通用するでしょう。
あの波平さんとフネさんの和服さえなければ

いつかはアップデートしなければいけないのです、時代劇になる前に。
ならば、「今」やってもいいのではないでしょうか。
確かに波平さんが会社から帰ってジャージに着替えるのは、強い違和感があります。
でもそれは、われわれ国民全員で乗り越えなければいけません。
この国民的漫画を後世に長くつないでいくために。

国会議員は「人間」を代表するだけでいいのか

国会議員は「人間」を代表するだけでいいのか

 

先日、日経新聞に「衆議院の1票の格差」を集計した記事がありました。
今月施行される「改正公職選挙法」の新しい区割だと、衆議院の最大格差は1.99倍とのこと。
前回2014年の衆議院議員選挙時が2.13倍ですから、少し改善されたことになります。

衆議院議員選挙の後には、必ず議員定数の違憲状態がニュースになります。
弁護士さんたちの恒例行事のように。
しかし私は、この話題をニュースで見る時、いつもモヤモヤした気持ちになります

確かに国民の代表を選ぶのですから、人口当たりで定数を決める、というのは理にかなっています。
しかしそれは国会議員が人間の代表でしかない場合です。
国会議員は地元の地域を代表しています。
地元にいるのは人間だけではありません。
その意味で、国会議員は、地元の熊や猿やイノシシや鳥や魚の代表とは言えないでしょうか。
地元の山や川や海や文化遺産の代表とは言えないでしょうか。
国は、地域は、人間だけのものではないはずです。

国全体の重要事項を決める時に、人口だけで代表を選んだら、参政権のない地方の熊や猿の権利は誰が守るのでしょうか。
北海道の自然をどうするか、東京の人の決定に委ねていいわけありません
決して今の議員定数に固執しているわけではありません。
ただ「地域を代表する」ためには、人口だけでなく面積や環境・自然など国土も考慮に入れるべきと思うのです。

忘れてはいけないのは、「尖閣諸島」の所有権で起きた騒ぎです。
誰も住んでいない島の所有権を大騒ぎして東京都が買い取り、最終的に国有地になりました。
尖閣はたまたま領有権を主張する他国があるから、日本の端っこの島に関心が集まりました。
つまり、日本全土どこをとっても、どうなってもいいという土地は無いのです。
日本全体が日本人全員のものであり、同時に熊や猿やイノシシたちのものでもある、ということを忘れてはいけません。
それに日本人は、日本全土どこでも好きなところに移住することが出来ます。
これも「職業の自由」と並んで、贅沢な権利です。
「地方に住む人はその地方を守ってくれている」というくらいの鷹揚な考えを、都会の人にはもってもらいたいものです。

採用にもある、「最少催行人数」

採用にもある、「最少催行人数」

 

「最少催行人数」という言葉を目にするのは、旅行業者のツアー募集のパンフレットくらいです。
最低〇〇人集まらなかったら、ツアーの企画自体が無くなるというやつですね。

最近、採用に関してもそれが出来たらいいな、と思うようになりました。
そのきっかけは、今年の新入社員が先日退職してしまったことです。
高校卒で入社、3ヵ月のジョブローテーション中でした。
その原因は、私たちの受け入れ体制にも、本人にもあります。
しかし最大の要因は、「新入社員がたった一人だったこと」だと思います。

ちょうど30年前、大学を出て社会人になった時のことを思い出してみると、同期入社の存在は大きかったです。
会社に入って右も左も分からない時、頼りになるのは上司でも先輩社員でもなく、同じように右も左も分からない同期でした。
不条理に先輩に叱られたときも、帰りに同期と吉野家でメシしながら愚痴を吐き出し、それでずいぶん救われました。
後で考えれば、当時は確かに稚拙な感覚で仕事をしていました。
上司や先輩から見ると、手がかかるお荷物な存在だったでしょう。
そんな時期を何とかくぐり抜け、徐々に社会人らしくなれたのは、一緒のレベルで一緒の目線で一緒に成長する同期がいたからだと思います。

ひるがえって先日辞めた新入社員のことを考えれば、高校卒業したばかりの18歳で、しかも普通科卒で慣れない工場の仕事で、職人さんに囲まれて。
この状況を一人で乗り切るのはとてつもなく難しいことだったのだと思います。
私たちが組んだ研修の仕方についても、大いに反省しなくてはいけません。

一般的に、会社がメンター(新入社員の精神的サポーター)をつけるケースもありますが、工場での仕事では実際無理でしょう。
であるなら、複数採用を徹底するしかありません。
複数人採用して一緒に研修を受けさせる。
複数人採用を目指して活動し、途中で一人しか採用出来ない見込みになれば、採用ゼロとする
採用にも、「最少催行人数」があるのです。

「燃料電池車」か、「電気自動車」か。

「燃料電池車」か、「電気自動車」か。

 

2年ほど前、トヨタの「MIRAI (ミライ)」に試乗したことがあります。
水素を燃料とする「燃料電池車」ですね。
静かに走り出して、スーッと気持ちよく加速するのを実感して、文字通り未来はこんな車が主流になるんだなと思いました。

ただ恥ずかしながら、その時まで勘違いしていたのですが、燃料電池車は水素を燃やして走るものと思っていました。
そうではなく、水素を電気に変えて、その電気で走るんですね。
私が試乗で感じたあの乗り心地は「電気自動車」の乗り心地だったのです。

あれから2年、ここに来て自動車業界は一段と「電気」への移行方針を明確にしています。
先日ボルボは、2019年以降の新モデルはすべて電気自動車かハイブリッドにする、と宣言しました。
また、初めから電気自動車でスタートした米テスラは、「オーストラリアで大型蓄電システムを受注」したと発表しました。
こういうニュースを見ていると、「電気」「太陽光」「再生可能エネルギー」「原子力」「蓄電」「スマートグリッド」といった未来のエネルギーの話題の中に、「自動車業界」も飲み込まれようとしているのを感じます。

そこで少し気になるのは、冒頭の「燃料電池車」です。
CO2を出さない「夢のエコカー」であるはずの燃料電池車の記事を、新聞であまり見かけなくなりました。
トヨタが世界をリードしていることは間違いないのですが、後追いしている企業の話題がないのです。
エネルギーの変換効率や蓄電技術の進歩で、「燃料電池車」の優位性を危ぶむ声も出ています。

「燃料電池車」か「電気自動車」か「プラグインハイブリッド」か。
20年後に残っているのはこの中のどれかでしょう。
これを決めるのは「自動車業界」ではなく、エネルギーを取り巻く技術革新なのだと思います。
近いうちに自動車メーカーは、エネルギーの動向を踏まえて「どの道を選ぶか」、難しい判断を迫られることになるのでしょう。