ピンとこない、「裁量労働制」

ピンとこない、「裁量労働制」

「裁量労働制」の必要性が、今一つピンときません。
なぜ経団連は「裁量労働制」に固執するのか。

経団連のホームページに、「企画業務型裁量労働制」の必要性が書かれています。
要約すると
高度な専門知識や技術をもって、創造的な企画業務を行う労働者は、その業務遂行の方法や時間配分まで本人に任されている
➁その高度な専門知識や技術を自己研鑽するために、外部の勉強会などに参加することも多く、その時間は業務かプライベートかが曖昧である
➂このような労働者を、現行の労働時間法制で縛ると、その創造性を十分に発揮することができず、生産性が低下する
➃そのような労働者を裁量労働制の下に置くことで、ワークライフバランスも実現可能になる
という主張です。

理屈的には何となく分かります。
しかし経団連がイメージする「そのような労働者」とはどんな人なのでしょうか
高校大学を通してラグビー部キャプテン、一流大学に現役合格、筋骨隆々、ガッツがあり爽やかなナイスガイ。
裏おもてがなく、同僚や部下からの信頼も厚く、上司にも堂々と自分の意見を進言する。
学生時代から交際していた女性と結婚、子供のおむつも交換するイクメン。
もちろん仕事に対する責任感もハンパなく、期日にはキッチリ成果を出してくる。
そんな「労働者」でしょうか。

そんな「労働者」って実際にいますか。
漫画ではそれに近いサラリーマンもいますが。
どんなに創造性がある優秀な人でも、インフルエンザにはかかるでしょう。
仕事は順調だからと言って、必ずしも家庭が順調とは限りません。
一日二日なら徹夜状態に耐えられても、一週間はもちません。
そんなに強くて完璧な人はいません。
人間だもの。

創造性があって、使命感が強くて、優秀な労働者はどの会社にもそれなりにいます。
でも強くて完璧なわけではありません
だからそんな優秀な労働者が、潰れないように壊れないように、守っていくのが「労働法制」でしょう。
経団連の主張の通り、企画業務に従事する優秀な労働者は、業務遂行方法や時間配分を任されています。
であれば会社は、せめてその労働者が無理し過ぎないように管理しなくてはならないでしょう
そのとき、目に見える管理は、「労働時間管理」しかないのです。
仕事の中身は管理できないのですから。

人間は生身です。
生身ゆえに、心身ともに揺れ動きます。
実在しない、アンドロイドみたいに「完璧な」労働者をイメージして、「裁量労働制」を制定しても、その効果は疑問です。
「健全なる精神は、健全なる身体に宿る」
労働時間を管理して、優秀な人材の健康が損なわれないように配慮することが、結局は長い目で見た会社の利益につながるのではないでしょうか。

「ヒマなときに何をしたか」を評価する

「ヒマなときに何をしたか」を評価する

社員を評価するとき大切なことは、「ヒマな時間に何をしたか」をよく見ることです。

数年前、東京都内の店舗のオープンに立ち会いました。
オープン当日朝、店長から
「昨日はみんな夜遅くまですごく頑張ってくれました。すごいスタッフばかりです!」
と報告がありました。
というのも、運悪く前日都内でゲリラ豪雨があり、周辺の側溝からあふれた水が、新店に流れ込んできたのです。
店舗の入口に土嚢的なものを置き、それでも入ってくる水をかき出し、雨がおさまってからは床をクリーニング。
予期せぬトラブル対応が、夜遅くまで続いたのです。

こういう予期せぬトラブル、緊急事態が発生すると、スタッフには負荷がかかります。
そこで頑張っているスタッフを見ると、上司は「評価」したくなります
半年に一回の人事評価でも、「あのゲリラ豪雨のとき頑張っていた」と。
店長の報告の口調には、そんな「評価」をしそうな雰囲気がありました。

しかし、その「人事評価」は間違っています。
店の緊急事態にスタッフが対応するのは当たり前です。
自分たちの店に水が流れ込んでいたら、誰だって懸命に防ごうとするでしょう。
その対応を「人事評価」するなら、緊急事態がたくさん発生した部署ほど、スタッフの評価が高くなってしまいます。

どこの会社であっても、「働く人」はほぼ全員真面目です。
目の前に仕事が山積みになっていれば、急いで片づけようとします。
緊急事態が起きれば、必死に対応しようとします。
そこでの働きに、大きな「違い」「差」はありません。
ではいつ「違い」「差」がでるのか。
それは「ヒマ」なときです。
「ヒマ」なときとは、忙しい仕事が一段落して、「今すぐやらなければいけない仕事」「強制される仕事」がないときです。

そんなとき、「普通の人」は、ヒマに合わせてペースを落とし、ゆったりと仕事をします。
一方、「評価すべき人」は、このヒマな時間を利用して、繁忙時に出来ないことに取り組みます。
繁忙時の仕事をスムーズにする改善は、「ヒマ」な時間にするしかありません。
たくさんのお客を集めるには、お客のいない「ヒマ」な時間に仕掛けをつくるしかありません。

店舗・会社を発展させるのは、「ヒマ」な時間の仕事なのです。
それに取り組んでいる社員をしっかり評価することが大切です。

定年65歳、雇用継続70歳を徹底すれば、「社会問題」は相当軽減する ②

働き方改革,定年延長

日本中の会社が、定年・雇用継続をさらに5年延ばせば、いろんな「社会問題」は相当軽減するでしょう。
しかし企業がそれを実行するために、必ずしなければいけないことがあります。
それは、「ベテラン社員への社内教育」です。

どんな「社内教育」が必要か。
パソコン研修ではありません。
「ベテラン社員として働くための考え方」の教育です。
考え方を、「心得」と言ってもいいかもしれません。
ベテラン社員には「素晴らしいところ」と「素晴らしくないところ」が同居しています。
素晴らしいところは、長い年月をかけた経験です。
経験から得た知識は、インターネットでは得られない知識です。
間違いなく会社で活用できます。
素晴らしくないところは、自分が作ったもの(製品や社内ルールなど)を死守しようとすることです。
後輩社員が製品や社内ルールをアップデートするのを邪魔します。
面と向かって反対はしなくても、不機嫌な態度を見せて後輩社員を萎えさせます。

このベテラン社員の「死守」は、自分を守るための行動ではないでしょうか。
自分が作った製品や社内ルールを変えられると、自分の実績が無くなってしまうという怖さ。
自分の実績が無くなると、自分が「要らない人」になってしまうという怖さを感じてしまうのです。

しかし会社の考え方はまったく逆です。
会社は、ベテラン社員の実績を認めながらも、すべてをアップデートしていかなければなりません。
そもそも、ベテラン社員の実績があるから、それをもとにアップデートできるのです。
ですから、アップデートをしたからと言って、過去の実績が無くなるわけではありません。

ベテラン社員は、自分が「要らない人」にならないよう、アップデートの邪魔をします。
会社はアップデートの邪魔をするベテラン社員を、「要らない人」と考えます。
この考え方のズレを修正するのが、「ベテラン社員への社内教育」です。

定年65歳、雇用継続70歳を徹底すれば、「社会問題」は相当軽減する①

働き方改革,定年延長

私たちの会社は今年、定年を60歳から65歳に引き上げました。
同時に本人に働く意思があれば、70歳までの雇用を約束しています。
本人と会社の折り合いがつけば、70代の雇用もアリです。
この就業規則の改定をした最大の理由は、現在雇用延長している60代の社員たちが、今の製造現場で欠かせない戦力だからです。
みんな極めて元気です。

定年引上げに対する社員たちの反応はどうか。
20代の反応はよく見えませんが、40代以上はみな好感しているようです。
これまでの60歳で定年、65歳で雇用延長が切れる、というのは、その先の生活を考えると、不安になるのでしょう。
特に中小企業には、大企業ほどのまとまった「退職金」もないので、なおさらです。

しかしこの社員たちの反応は、二昔前では考えられないことです。
1970年代、モーレツサラリーマンだった世代は、60歳で引退して、残りの人生を「悠々自適」に過ごすことが何よりの目標でした。
その世代の人に、定年延長の話をしたら、大ブーイングでしょう。
「まだ働かせるのか」と。

これだけ見ても、今の40代50代の仕事に対する感覚は、モーレツ世代とは大きく変わっています。
大げさに言えば、「労働観の変化」です。
確かに経済的環境、つまりおカネの事情が起こした変化ではあるのですが、それだけではないでしょう。
モーレツ世代が引退後、必ずしも「悠々自適」を満喫しているように見えないからです。
一部の遊び上手な人を除いて、多くの人は、時間を持て余し、連れ合いとの仲も険悪に。
結局、引退後1年も経たないうちに「シルバー人材センター」に登録。
キャリアを生かせない仕事に就いた「もったいない人材」がたくさんいます。

そういう世代を見て、私たち現役世代の「労働観」が変わりました。
「働くことは、自分の居場所ができること」
「働くことは、世の中とつながること」
「体力気力に合わせて仕事が出来るなら、できるだけ長く働きたい」
70歳になって、週3日出勤の仕事ができるなら、かつての「悠々自適」よりももっと魅力を感じます。

ところで今、政府は大企業に対し、数%の賃上げを要求しています。
それは、なかなか上がってこない「個人消費」を底上げするのが目的でしょう。
しかしそれは、良策ではありません。
政府が大企業に求めるべきは、「定年延長」です。
目先の賃上げよりも「将来の安心」の方が、個人消費を押し上げるからです。
「定年の延長」は、年金、医療・介護の社会保障費の抑制にもつながるでしょう。

「一億総活躍社会」を謳うなら、「定年延長」は真っ先に取り組むべき課題ではないでしょうか。

脱「おしん」世代の、働き方改革

 

ときどき会社の近くの農家を訪問することがあります。
田んぼの真ん中にある築70年の古民家を借りて手直し、ベトナム実習生の寮にしているからです。
ときどきその寮をチェックに行くのですが、いつ行っても貸主の農家の老夫婦は畑で仕事をされています
80歳くらいのおばあちゃんと立ち話をすると、その黒光りした顔に刻まれた深いしわを見て、半世紀以上も毎日毎日田んぼや畑に出続けている暮らしを想像して、いつも少し胸が苦しくなります。

50代前半の私たちの世代は、「貧しさ」から抜け出すために働いたという経験はありません。
しかし戦前生まれの親からは、戦中戦後の「貧しさ」の話をたくさん聞いて育ったので、「おしん」の世界観、「清貧の尊さ」が、どこか頭や体に染みついています
おばあちゃんのしわを見て胸が苦しくなるのは、そのせいでしょう。

しかしその感覚はこれからの経営には不要です。
むしろ「障害」になりかねません。
例えば、今徐々に農業を志す若者が増えています。
農業に従事しようという女の子が、50年後、黒光りした顔と深いしわになっていては絶対ダメです。
テレビCMでは、朝から晩まで、きれいな女優さんがキレイな肌を保つための化粧品をPRしています。
どんな女性もいつまでも白く美しい肌をキープしたいでしょう。
「農業を志すなら、白い肌は諦めなさい。
黒光りした肌と深いしわが、農業の誇り」
などと考えてはいけないのです。

工場で働く男の子たちもそうです。
「旋盤工なら、指が1本無くなってはじめて一人前になるんだ」
などと考えてはいけないのです。

これからの若い世代は、「おしん」を見ても感動するどころか、「ナニコレ」でしょう。
それが当たりまえですし、それでいいのです。
農業に従事しても日焼けしない、旋盤工に従事しても指がなくならない、そういう労働環境をつくることこそが、これからしなくてはいけない「働き方改革」です。
それが出来れば、これまで人が集まらなかった職種に人が集まるようになるでしょう。

私たちの「労働観」もアップデートしなければいけません。