高専のススメ

高専のススメ

 

昨年、知り合いの息子さんが東大に入学しました。
と言っても通常の入試ではなく、神奈川の高専(高等専門学校)から東大工学部への編入試験に合格したのです。
高専から国立大学への編入制度があることは知っていましたが、東大にも入れるんですね。
 
現在、製造業の世界では、工業高校の卒業生は貴重な「金の卵」です。
そうすると高専の卒業生は、中小企業には手の届かない「純金の卵」です。
学業優秀な子が、早くから専門性を身につける、国公立の「高専」は素晴らしい 教育制度だと思います。        
私は昔から、この「高専」がもっとたくさんあれば良いのに、と思っています。
ただそれは、現在ある工業・技術・商船分野の学校を増やすのではなく、他のいろんな分野の高専を増やすのです。
例えば「サービス業」の高専、「小売業」の高専、「観光業」の高専、「農業」の高専、「アニメ」の高専、「カジノ」の高専、などなど。
 
サービス業に関心がある優秀な子が、15歳から5年間、「サービス業」の国立高専で勉強すれば、20歳で貴重な人材として社会に出ていきます。
日本のサービス業は生産性が低い、と言われます。
その問題はサービス業の高専の人たちが解決してくれるでしょう。
 
これから日本が本気で観光立国を目指すなら、クールジャパンを世界に発信するなら、IRを解禁するなら、農業の高度化を図るなら、各分野の国立高等専門学校があってもいいのではないでしょうか。
各分野一校ずつ設立すれば、それは「サービス業の東大」「小売業の東大」「観光業の東大」になるでしょう。
 
東京大学を頂点とした「学問」の山だけでなく、日本中に高専を頂点としたいろんな「専門」の山をつくれば、子供たちは早い時期に自分が目指したい山(専門)を見つけることが出来ます。
そして20歳で各分野の即戦力エキスパートとして社会に出てくれます
そういう高い専門性をもった若者たちがいろんな分野に豊富にいる、そんな日本を想像するとワクワクします。

「家庭の味」を求めてはいけません

「家庭の味」を求めてはいけません

 

 

つい最近、新聞やニュースで、「日本の人口は、2053年に1億人を割る」との厚労省推計が発表されました。

働き手も、50年後には現在より4割減るとのこと。
数値の誤差はあるにせよ、だいたいそんな感じになるのでしょう。
 
働き手に関しては、若い人が増えることは絶対ありません。
現在就業率の高くない層、つまり高齢者や女性に期待するほかありません。
特に女性は、環境さえ整えば同世代の男性と同等の仕事が出来るのですから、まだまだ開発の余地がある人財ですね。
 
ところで台湾やシンガポールに旅行した時の楽しみは、夜街をブラブラしながら、その辺の食堂や屋台で食べたり飲んだりすることです。
どの店もお客がいっぱいで賑やかなのも、旅の楽しさを演出してくれます。
聞くとシンガポールでは、ほとんどの家庭で女性は料理をしないとか。
共働きが当たり前なので、女性が料理を担当する理由がないのです。
だからどの家庭も夕食は家族で外食なんですね。
 
日本も今後、本気で女性に働いてもらいたいなら、「家庭の味」「おふくろの味」などを求めてはいけません
女性に「労働力」と「家庭の味」を同時に求めてはいけないのです。
そもそも核家族が主流になった頃から、子育ての負担が集中する女性に「家庭の味」を求めてはいけなかったのかも知れません。
一つを手に入れるためには一つを手放さなくては。
 
将来は「家庭の味」が無くなる代わりに、定時に仕事を
終え、家族や夫婦やパートナーと待ち合わせての外食。
今よりも、大切な人とゆっくり過ごす時間も増えるでしょう。
悪くない未来です。

勉強なんかするな !

勉強なんかするな !

 

 

女子プロゴルフLPGAの賞金ランキングは現時点で、トップ3をすべて韓国の選手が占めています。

「プロゴルフの世界では男子も女子も韓国は強い」というのが定説になっていますよね。

私は10年くらい前、仕事でよく韓国に行っていました。
その頃すでに韓国のゴルフ選手たちは米国・日本で活躍していました。
私は現地のビジネスパートナーと夜食事をしながら、なぜ韓国のゴルフが強いのか訊いたことがあります。
 
いろんな話が出てきたのですが、その中で一つ印象的な話がありました。
それは、自分の子供をゴルフの専門学校的な高校に入れた熱心な親は、
「勉強なんかするな。ゴルフに集中しろ!
と叱咤激励するという話です。
もともと日本以上に受験戦争が熾烈で、親の教育熱も高い国ですが、その熱がゴルフにも向かっているんですね。
 
この「勉強なんかするな」という言葉はわれわれ日本人には衝撃的な言葉です。
日本ではまず聞けない言葉ではないでしょうか。
日本では文武両道が良しとされます
一流のアスリートを目指す子供にも「勉強しなくてもいい」とはまず言わないでしょう。
むしろ「一流のアスリートを目指すなら、一流の学識を身につけろ」くらい言いそうな感じです。
 
でも子供の立場になってこの「勉強なんかするな」を見直すとどうでしょう。
やらなくていいことを明言されると、やるべきことが明確になります
子供たちは得意なことに集中できるかも知れません。
日本が誇る世界トップクラスのアスリート、松山君・錦織君・大谷君などは考え方や発言も素晴らしいです。
でもそれは学校の勉強で身につけたものではなく、一流のアスリートになるプロセスで身につけたものではないでしょうか。
 
「勉強なんかするな」という言葉は無謀にも聞こえますが、われわれ日本人の教育について再考させられる、印象的な言葉です。

恩師に学んだこと

恩師に学んだこと
大学時代のゼミの先生とは、長いお付き合いはできませんでした。
というのも、私が3年生の12月に、50歳の若さで癌で亡くなられたからです。
ゼミ幹事だったので、代表でお葬式に参列したのを覚えています。
 
先生は、お父様がW大の総長をされたほどの学者一家の出。
ご本人も計量経済学の第一人者として将来を嘱望される学者でした。
短い期間ではありますが、ゼミの中で先生から学んだことがあります。
それは
「本当に理解できるまで立ち止まって徹底して考える、分かったフリをして先に進まない」
ということです。 
私たちのゼミで、よく起きていたことは、「中断」です。
ゼミは、学生がミクロ経済学のテキストを解説する形で進行します。
その解説を先生が止めて、考え込んでしまうのです。
その「中断」が1時間以上続くこともしょっちゅうでした。
正直私たち学生には、先生がどこに引っかかっているのかすら分からないのですが、とにかくその間静かに待ちます。
 
ところで、ミクロ経済学というのは、今考えても「どこまで役に立つんだろう」と思ってしまいます。
リンゴを1個手放す代わりにバナナを何本もらえば満足するか、というようなことを、式やグラフにします。
この場合、リンゴとバナナの個数をそれぞれXYにすれば、満足度合を平面のグラフで表現できます。
これにミカンが加わるとZが加わり、立体的な三次元のグラフで満足度合を表現することになります。
三次元に生きる私たちにとって、ここまでは何とかイメージできます。
問題はここにブドウが加わった時です。
バナナ1個とリンゴ1個を手放す代わりに、ミカン何個とブドウ何個がほしいか。
こうなると、四次元の世界ですから、私たちにはそのグラフをイメージすることはできません。

 

しかし、先生は出来るのです。
頭の中に四次元グラフがあり、それぞれの個数を動かすことが出来る(ようです)。
そんな非常に頭の良い先生が、学生の前でカッコつけることなく、1時間以上も考え込んでしまう。
分からないこと、腑に落ちないことを絶対置き去りにしない。
その姿勢がハンパないのです。

一つの物事を自分の中に取り込もうとして、それがスッと「理解の棚」に収まらなかった時、例の「中断」が起きます。
取り込もうとする物に問題があるのか、自分の棚に問題があるのか、
その煩悶の時間が「中断」なんですね。
 
「分からない」と言うことは、恥ずかしいことではない。
「分からない」と言える人は、本物の自信をもっている。
先生の姿勢を見て感じたことは、今でも教訓として自分の中に残っています。