老後についての、ムダな心配は一切やめる

老後についての、ムダな心配は一切やめる

 

50歳になる前後に友人から一冊の本をもらいました。
清水義範さん著の「50代から上手に生きる人、ムダに生きる人」
その本に、いい話がありました。
ムダな心配は一切やめる」という話です。
 
最近、「少子高齢化」「年金削減」「下流老人」「老後破産」が喧伝されます。
これから老人になる人間にとって、とんでもない時代が待っていると。
われわれ中高年の不安をあおるものばかりです。
 
著者は、それを否定します。
そんなことはない。
個々の人間が老人になったとたんに「生活力」がゼロになるはずがない
歩くことが出来て、手が動いて、字が読めるなら、何とかして生きていけるくらいのお金はどうにかなるに決まってる。
だからムダな心配は一切やめなさい、と。
 
確かに、将来そんな困窮した老人であふれるのなら、今だって少しくらい自分の周りにサンプル老人がいそうなものですが、実際にはいません。
みんな収まるところに収まっています
 
老人に限らず、個人個人の「生活力」は、思いのほか強いです。
私たちの会社でも、残念ながらポツポツと辞めていく社員がいます。
「この子はこんな状態でウチを辞めて、この先大丈夫かなー」と思った社員でも、あとで野垂れ死んだ、なんて話は聞いたことがありません。
みんな自分で働く場所を見つけ、自分でパートナーを見つけ、自分で楽しみを見つけて生きています
みんな何とかなっているのです。
 
「今」を生きる力があるなら、「将来」も生きることができる。
ムダな心配は一切やめましょう。
 

パチンコは必要か、不要か

パチンコは必要か、不要か

 

取引先の採石会社の社長と話をしたときのこと、ひょんなことから「パチンコは必要か、不要か」という話になりました。
その社長は「パチンコは必要」とのこと。
 
理由はこうです。
その会社の採石場は市街地に近い立地にあり、ハッパ(ダイナマイト)を使うことが出来ません。
ですから従業員はユンボ(パワーショベル)で、ガリガリと岩肌を削って、石を作っていきます。
来る日も来る日も、朝から夕方まで物言わぬ岩に向き合ってガリガリガリ
石を採りつくして採石が終わるのが、何十年先なのかも分かりません。
そういう仕事をしている従業員に、今日の作業目標は与えられても、「将来の目標を持て」とは言えないとのこと。
そんな従業員たちの日々の楽しみは仕事が終わってからのパチンコと、家に帰ってからの晩酌だそうです。
パチンコと晩酌は彼らの原動力、だからパチンコは必要というわけです。
 
その話を聞いて、とても考えさせられました。
世の中にはいろんな仕事があり、いろんな人がいろんな目的で働いている。
仮に10年後の目標を持っていない人がいたとしても、それを簡単に否定することはできないなと。
立身出世が常に正しいわけじゃない。
その採石会社の子たちが削り出す石がなければ新しい道路を作ることはできません。
 
パチンコの要不要は置いといて、気づきのあるお話でした。

麻布十番の焼き鳥屋で盗み聞き

麻布十番の焼き鳥屋で盗み聞き

 

 

知人と麻布十番の焼き鳥屋で食事をしていたときのこと。
私たちより少し後にバックパックを背負った30歳前後の男性が入ってきました。
待ち合わせをしていたらしく、すぐに同世代の男性2名が来ました。
その2人もバックパックでした。
3人の話が始まり、なんとなく聞こえる話を聞いていると、だんだんそっちが気になってきました。 
どうも3人は大学か最初の会社が一緒で、今はそれぞれ違う仕事をしているよう。
で、その日は久しぶりのミーティング。
一人は自分で事業を起こしているが、今は少しトラブルを抱えている。
一人は会社で仕事をしながら、自分で福祉関係のアプリを開発している最中。
もう一人も何か起業を考えているよう
 
で、聞こえてくる会話は
「今度のGoogle翻訳すごいよな。もうビジネス文書だったら英語の勉強なんか必要ないんじゃない ?」
仕事でトラブルが起きるのは、悪いことじゃないと思うよ。
ちゃんと前に進んでるってことじゃん
「会社の仕事なんて、昼までに済んじゃうよ。
だから昼からはずっと自分のアプリ作ってる
今独立することにそれほどリスクはないんじゃないかなー。
もし失敗したって、そのあと仕事に困ることなんてないでしょ
などなど。
 
起業家を目指す若者たちが、麻布十番の焼き鳥屋で情報交換。
六本木ヒルズに近いこの辺りではよくある光景かも知れません。
しかし、実際に若者が熱っぽく話しているのを見ると、何か嬉しい気持ちになりました
 
それともう一つ。
昭和生まれの私は、バックパックを背負って会社に行く、それも自転車に乗って、というのはどうもうさん臭いイメージをもっていました。
ちゃんと仕事してるのなかあ、と。
でも今回、少し見方が変わりました。
バックパッカーも結構ちゃんとしていて、やりたいこと見つけて頑張ってるんだと。
応援したい気持ちになりました。
 

「博多」のインバウンド事情

博多
ゴールデンウィークに入り、久しぶりに博多に行ってきました。
予想はしていましたが、外国人旅行者の多いこと
中洲のドン・キホーテは深夜になっても、みやげ物を探す旅行者で熱気ムンムンでした。
 
博多では、東京や大阪など他の大都市に比べて、韓国からの旅行者の割合が圧倒的に高いように見えました。
釜山からであれば飛行機でなくても、博多までフェリーや高速船も出ています。
JR九州が運営する高速船なら、片道3時間ちょっと。
料金も往復で1万前後です。
韓国から見て博多は近くて安い外国なんですね。
 
ところで、「博多」は私たちにとっても「行きたい魅力的な街」です。
ブランドショップや百貨店が充実しているのはもちろん、「九州の109」天神コアには女の子たちのトレンドもしっかり揃っています。
(ちなみに博多の女の子は昔から流行に敏感で、東京で流行ったものは次に博多で売れる、という傾向があります。)
どこで何を食べても美味しい、とくに新鮮な魚と焼酎の組み合わせは本当にリーズナブルです。
屋台でジャンクなつまみを頼んでビールをあおり、最後に長浜ラーメンでシメる。
これも博多ならではの楽しみですね。
ホテルの安さも考慮すれば、博多はコスパが素晴らしくいい街です。
韓国人旅行者が、「日本を楽しむ」のであれば、わざわざ東京にいく必要はないでしょう。
 
考えてみれば、「博多」は昔から九州の「首都」としての賑わいがありました。
休日には九州中から首都・博多に向けて人が集まってきます。
そこに韓国からの人たちも加わったのかも知れません。
ホテルの駐車場でも、レンタカーで出発する韓国人家族を何組も見かけました。
団体旅行ではなく家族旅行なんですね。
大陸に近い博多は、他の都市とは違うインバウンドの盛り上がりが続きそうです。
 

コンビニのアンフェアなゴミ事情

コンビニ

コンビニの店前に置いてあるゴミ箱は、原則その店で買ったものを食べた後に出るゴミを捨てるためのものなんでしょうね。

家庭ごみの持ち込みはダメでしょう。
それでも家庭ごみを捨てやすい状況のため、いろんなゴミが捨てられていると思います。
私は以前からこのゴミ箱に関しては、コンビニは寛容で太っ腹だなーと感じていました。
 
しかし最近その考え方が変わってきました。
先日、会社周辺を大掃除した時のこと。
私たちの会社は郊外の工業団地にあり、面積が大きいので、周辺の掃除だけでも相当のボリュームがあります。
数人でゴミ拾いをすると、車から投棄されたゴミですぐに持っている袋がいっぱいになってしまいます。
その中にコンビニの袋、コンビニの弁当容器、コンビニのおにぎり包装が本当に多いこと。
それから推測すると、空き缶やペットボトルも多くがコンビニで購入されたものと思われます。
コンビニはスーパーなどと違い、すぐに食べれる食料品が中心なので、必然的にゴミ投棄につながりやすいんですね。
 
コンビニが売ったものがゴミになり投棄される。
それを捨てられた周辺の住民や市の清掃部隊が片づける。
それならせめて、コンビニの店前のゴミ箱も寛容であっていいんじゃないか。
そう考えるようになりました。
 
しかし最近はコンビニのゴミ箱も、店内に設置される傾向にあります。
火災などの危険防止という理由は理解できますが、「ゴミの片付け」に関してはアンフェアな感じがします。
コンビニはある程度「町のゴミステーション」の役割を請け負っても良いのではないでしょうか。