東芝ショック ! で考える、監査法人の存在意義

東芝ショック !

 

 

東芝が監査法人の意見表明がないまま決算発表をしました。

いろんな事情はさておき、「意見不表明」とは納得できません
 
上場企業は監査法人の監査を義務付けられています。
であれば、指定されている監査法人は期限内に監査報告する義務があるはず。
「承認」「否認」「条件付き承認」「懸念事項表明」
本来の確定したものへの承認でなくても、何か意見を付けてほしいです。
「意見不表明」じゃあルール的にまったく決算発表にならないでしょう。
安くない監査料を取っているんだし。
 
ところで今日、テレビのニュースで監査法人トーマツが「AI(人工知能)」を導入しているのを見ました。
いいことです。
そもそも東芝に限らず、「企業の活動」に「監査法人の監査能力」が追い付いていないのです。
上場企業の目論見書や有価証券報告書を読んでも、ありきたりのことしか書いてありません。
リスクについての開示にしても、誰もが知っている内容だけ。
上場企業の監査は、「有価証券報告書」の書式にその年の数字を入れ替えている程度に見えます。
そういう仕事しかしていなければ、企業の変調にも鈍感になってしまいます。
いざ東芝のような問題が噴出したときに、監査が機能しない実態が露呈するのではないでしょうか。
 
莫大な数字の中から企業の変調を見つけるのは「AI」に任せた方が絶対にいいです。
でもそうなると監査法人は本当に必要なのでしょうか。

銀行との付き合い方① 「追えば逃げる、逃げれば追う」

銀行
追えば逃げる、逃げれば追う。
これは恋愛話ではありません。
私たち中小企業と銀行との関係です。
 
「銀行は晴れの日に傘を差し出し、雨の日に傘を取り上げる」
昔からよく使われる表現ですが、銀行もそこまで殺生ではないでしょう。
しかし銀行を「金貸し」と割り切って考えるならば、金貸しのスタンスとしては傘の話も納得できます。
 
私たち個人レベルでも、知り合いから
「今度ウチの会社、上場するんだ。今のうちに
10万円で株を買っとかない?
と勧誘されたら、非常に警戒します。
逆に、投資を勧誘されることもなく「上場話」を聞けば、何とか今のうちに10万でも株を買えないかと考えます。
勝手なものです。
銀行も同じでしょう。
 
ですから、会社が銀行を追うのではなく、銀行に追いかけてもらわなければいけません。
そのためには
① 少しその銀行から逃げる(距離を置く)フリをする
② 他の銀行から大切にされていることを匂わせる
ことが大切です。
 
会社が一つの銀行をメインバンクと位置付けるのは自由ですが、
銀行取引の中でそれを主張することは、効果的な方法ではありません。
「この融資はメインバンクの貴行に是非お願いしたい」なんて言われたら、銀行は「重たいなあ」と引いてしまうかも知れません。
 
恋愛では、二股三股は厳禁です。
逆に銀行取引では「あなた一筋」が厳禁です。
上手に二股三股しましょう。
 
 

現場スタッフの「為になる財務勉強会」

実現可能性の高い「中期経営計画」
中小企業の社員向けに、その会社の決算書を使って財務勉強会を開くことがあります。
役員や幹部社員ではなく、現場を実際に動かしているマネージャーや一般社員が対象です。
 
社員に決算書を見せることは経営側からするといろいろ懸念されることもあり躊躇しがちです。

であれば無理にすべてをオープンにする必要はありません
差し障りのないところだけ使えばOKです。

 
一般的に貸借対照表は損益計算書に比べてその仕組みが理解しにくいので、勉強会も損益計算書に比重を置きがちです。
しかし私は逆に貸借対照表に78割の時間を割きます
かといって流動比率や固定比率など、現場を切り盛りする社員に必要のないことはまったく触れません。
 
時間をかけるのは、固定資産の科目を一つずつ確認することです。
土地は全部でいくら、その内訳を付属明細で確認します。
建物や構築物、什器備品は減価償却資産台帳で中身を確認します。
これをやると、社員たちは自分たちがいる店や工場、使っている備品が一つずつ帳簿で価格管理されていることを知り、その価格に興味を持ちます
例えば、
本社の敷地って2,500㎡もあるのかー、とか。
あのフォークリフトって18年前に買ったとき350万だったんですね、とか。
店舗内装の耐用年数ってすごく長いんですね、とか。
 
ここで期待したいことは、
①自分たちが商売するため、モノづくりをするために使っている一つ一つの物がすべて購入価格-減価償却=現在価格で管理されていることを知ること
無くしたり壊したりすると損失が発生し、代わりに新しいものを買うとまた高い金額から償却費用が発生すること
 
現場の社員たちは、自分たちの周りにある店や工場や什器やフォークリフトや溶接機に毎日コストが発生していることが実感として分かっていないんです。
それを数字で確認することで、周囲の物の見え方が変わってきます
是非お試しください !

目をつむって25メートルプールを泳ぐ、ような経営

目をつむって25メートルプールを泳ぐ、ような経営
小学生の頃プールで、目をギュッとつむったまま泳いだことがあります。
目を開けるのがイヤで。
25メートル先のゴールを目指して必死に手足をバタバタ、何とかゴール。
と思いきや目を開けてみると、着いたのはプールの横側(長い方)でした。
何度やっても結果は同じ。
コースレーン(浮いてるやつ)のないプールで目をつむったまま、まっすぐ泳ぐのは、思いのほか難しいことなんですね。
 
私は「思い」と「やる気」と「勘」を頼りに必死に頑張る経営者を見ると、いつもこの25メートルプールのことを思い出します。
それでもプールはどこかにたどり着くから良いのですが、ビジネスでは間違っても、たどり着くプールサイドすらありません。
さらに不幸なことに、「思い」と「やる気」と「勘」が強ければ強いほど、方向を失ったときに目標から大きく離れてしまいます。
頑張る社長の倒産劇はこのパターンが多いです。
 
会社経営で、「目をつむる」は数字を見ないこと
頑張る社長は、少しペースを落として時々立ち止まる必要があります。
立ち止まって、現在の立ち位置や目標の方向、前回立ち止まったところからの距離などすべてを数字で把握しなくてはいけません。
 
そして経営者の一番大切な仕事は社員が安心して思いっきり泳げるように、コースレーンを張ってあげることではないでしょうか。

恩師に学んだこと

恩師に学んだこと
大学時代のゼミの先生とは、長いお付き合いはできませんでした。
というのも、私が3年生の12月に、50歳の若さで癌で亡くなられたからです。
ゼミ幹事だったので、代表でお葬式に参列したのを覚えています。
 
先生は、お父様がW大の総長をされたほどの学者一家の出。
ご本人も計量経済学の第一人者として将来を嘱望される学者でした。
短い期間ではありますが、ゼミの中で先生から学んだことがあります。
それは
「本当に理解できるまで立ち止まって徹底して考える、分かったフリをして先に進まない」
ということです。 
私たちのゼミで、よく起きていたことは、「中断」です。
ゼミは、学生がミクロ経済学のテキストを解説する形で進行します。
その解説を先生が止めて、考え込んでしまうのです。
その「中断」が1時間以上続くこともしょっちゅうでした。
正直私たち学生には、先生がどこに引っかかっているのかすら分からないのですが、とにかくその間静かに待ちます。
 
ところで、ミクロ経済学というのは、今考えても「どこまで役に立つんだろう」と思ってしまいます。
リンゴを1個手放す代わりにバナナを何本もらえば満足するか、というようなことを、式やグラフにします。
この場合、リンゴとバナナの個数をそれぞれXYにすれば、満足度合を平面のグラフで表現できます。
これにミカンが加わるとZが加わり、立体的な三次元のグラフで満足度合を表現することになります。
三次元に生きる私たちにとって、ここまでは何とかイメージできます。
問題はここにブドウが加わった時です。
バナナ1個とリンゴ1個を手放す代わりに、ミカン何個とブドウ何個がほしいか。
こうなると、四次元の世界ですから、私たちにはそのグラフをイメージすることはできません。

 

しかし、先生は出来るのです。
頭の中に四次元グラフがあり、それぞれの個数を動かすことが出来る(ようです)。
そんな非常に頭の良い先生が、学生の前でカッコつけることなく、1時間以上も考え込んでしまう。
分からないこと、腑に落ちないことを絶対置き去りにしない。
その姿勢がハンパないのです。

一つの物事を自分の中に取り込もうとして、それがスッと「理解の棚」に収まらなかった時、例の「中断」が起きます。
取り込もうとする物に問題があるのか、自分の棚に問題があるのか、
その煩悶の時間が「中断」なんですね。
 
「分からない」と言うことは、恥ずかしいことではない。
「分からない」と言える人は、本物の自信をもっている。
先生の姿勢を見て感じたことは、今でも教訓として自分の中に残っています。