福島第一原発を、「原発記念公園」「原発会議場」に

福島第一原発を、「原発記念公園」「原発会議場」に

 

ここ数日、福島第一原発のニュースが続いています。
原子炉内部にロボットを入れて、内部の状況を調査しようという試みです。
それにしても、事故から6年が過ぎた今も、原子炉内部の「燃料デブリ」を発見することすら出来ていません。
それくらい、壊れた原発の取り扱いが難しい、ということなのでしょう。

原子力発電所の再稼働に賛成・反対、双方に言い分があります。
でも、「将来のどこかでは原発をゼロにしなければいけない」という考えは、万人に共通しているのではないでしょうか。

日本には広島と長崎に平和(記念)公園があります。
原爆を落とされた唯一の国、日本。
ヒロシマとナガサキの平和記念公園には「原爆の怖さ・悲惨さ・愚かさ」を発信し続ける役割があります。

原発事故は過去に他国でも起きましたが、原発が世界中に拡散した後に起きた事故としては、福島第一原発が初めてです。
その世界に与えたインパクトは甚大です。
その証拠に、米国でさえ原発の新設に対し極めて慎重になり、その影響もあり東芝ショックが起きました。
世界中が原発の安全性について一層懐疑的になったのは、間違いありません。

今後世界中で原発がなくなる方向に動くなら、福島第一原発は、「原発記念公園」として原子力の脅威を記録・発信していく役割を担ってはどうでしょうか。
今はまだ廃炉や汚染水処理の道筋もつかない状況です。
それらが確定し、格納容器の中が片付いて、突発的な事故の危険がなくなった状況になれば、「原発記念公園」も可能でしょう。
そこには会議場を併設し、原発に関する会議は必ずその会議場でするのです。
汚染水処理のタンクがどんどん建設されている横で、「原発の再稼働や新設や安全性やコスト」に関する会議をするのです。
東京で会議をしてはいけません。

福島にとって本当に不幸な事故ではありますが、だからこそ世界で唯一の「原発記念公園」を設定し、その体験を世界に発信してほしいと思います。
世界の人がフクシマに来て、原発事故の実態を知り、汚染水処理の規模に驚き、事故の代償の大きさを学ぶ。
もちろん私たち日本人も。
そんな「原発記念公園」が構想できるくらいに、早く周辺環境が落ち着いてほしいものです。

ぶつからない新幹線

新幹線

 

先日新聞で、「川崎重工と三菱商事がバングラデシュの鉄道車両・関連設備を受注する見込み」という記事を見ました。
車両数は100両、受注額は数百億とのこと。
これは国際協力機構(JICA)の円借款1,735億で、首都ダッカのインフラを整備する一環です。

こういう鉄道インフラの輸出は、安倍内閣の成長戦略の一つに位置付けられています。
これまでの最大受注は2012年〜13年に日立が受注した、イギリスの高速鉄道(IEP)
866両、8,800億円のビックプロジェクトです。
この車両製造が今、山口県下松市の日立笠戸事業所でフル操業状態で行われています。

以前、その笠戸事業所の方にIEPについてお話を伺ったことがあります。
笠戸事業所では通常、JR新幹線車両N700をメインに作っています。
新幹線もIEPもアルミで作られるのは同じなのですが、安全に対する考え方に大きな違いがあるとのこと。
それは、新幹線は「ぶつからないこと」を前提に車両を作り、IEPは「ぶつかること」を前提に作るのだそうです。

新幹線は、ソフト面では運行管理システムを高度化し、ハード面では全線を高架にして、絶対にぶつからない仕組みを作っています
ですから車両は「ぶつからないこと」を前提に、アルミの板厚を薄くして軽量化し、省エネを目指しています。

一方IEPは、新幹線ほどの高度化された運行管理システムを持っていませんし、高架でなく地上を走ります。
ですから車両は、ある程度「ぶつかること」を前提に、アルミの板厚を新幹線の約2倍にし、さらに先頭車両には大きな「衝突衝撃吸収装置」がついています。
万が一、何かと衝突しても、運転士の命を守ることを目指しているのです。

つまり、➀運行システムで安全を確保するのか、➁車両強度で安全を確保するのか、の違いなんですね。

ところで何年か前に、中国の高速鉄道の衝突がありました。
高架の上で車両同士がぶつかる衝撃的な映像でした。
あの鉄道車両は、日本の新幹線車両がベースになっているとのこと。
そうであれば、高度化された運行管理システムが絶対に必要なのですが・・・。

「サザエさん」のアップデート

「サザエさん」のアップデート

 

久しぶりに「サザエさん」を観ました。
久しぶりに見ると、いろんな人の声が変わっていて少し寂しい気持ちになりました。
それでも、テレビ離れが進む現在でも視聴率は10%以上をキープ。
東芝が手放せないわけです。

「サザエさん」を観ていて、だんだん気になってきたのは、時代のズレです。
よく言われる、
「波平さんが54歳には見えない」
「穴子くんが27歳とは老けすぎてる」
といったことは大きな問題ではありません。
問題は、波平さんが会社から帰ると和服に着替えることです。
それとフネさんも朝起きたらすぐ和服
私たちの親の世代でも、和服に着替える人はほとんどいませんでしたが、ドラマやアニメの中では違和感なく受け取ることができました。
それから40年以上たった今、さすがに限界を感じます。

「サザエさん」の漫画は1946年から、アニメは1969年から始まったとのこと。
この国民的漫画はすべての国民に寄り添ってきました。
特にアニメは、日曜18時半という国民の大半がブルーな気持ちになる時間帯に放送されるため、「サザエさんシンドローム」と言う言葉まで誕生しました。
「マスオさん状態」というのも、ずいぶん前から一般的な言葉になっています。

しかし実際には、こんなに明るくて隠し事のない家族は、日本に1軒もないでしょう。
その意味では、「サザエさん一家」は決して日本の「平均的な家族」ではありません。
それは日本人が思い描く、「理想的な家族」なのではないでしょうか。
この理想形は、そのまま今後も長く通用するでしょう。
あの波平さんとフネさんの和服さえなければ

いつかはアップデートしなければいけないのです、時代劇になる前に。
ならば、「今」やってもいいのではないでしょうか。
確かに波平さんが会社から帰ってジャージに着替えるのは、強い違和感があります。
でもそれは、われわれ国民全員で乗り越えなければいけません。
この国民的漫画を後世に長くつないでいくために。

国会議員は「人間」を代表するだけでいいのか

国会議員は「人間」を代表するだけでいいのか

 

先日、日経新聞に「衆議院の1票の格差」を集計した記事がありました。
今月施行される「改正公職選挙法」の新しい区割だと、衆議院の最大格差は1.99倍とのこと。
前回2014年の衆議院議員選挙時が2.13倍ですから、少し改善されたことになります。

衆議院議員選挙の後には、必ず議員定数の違憲状態がニュースになります。
弁護士さんたちの恒例行事のように。
しかし私は、この話題をニュースで見る時、いつもモヤモヤした気持ちになります

確かに国民の代表を選ぶのですから、人口当たりで定数を決める、というのは理にかなっています。
しかしそれは国会議員が人間の代表でしかない場合です。
国会議員は地元の地域を代表しています。
地元にいるのは人間だけではありません。
その意味で、国会議員は、地元の熊や猿やイノシシや鳥や魚の代表とは言えないでしょうか。
地元の山や川や海や文化遺産の代表とは言えないでしょうか。
国は、地域は、人間だけのものではないはずです。

国全体の重要事項を決める時に、人口だけで代表を選んだら、参政権のない地方の熊や猿の権利は誰が守るのでしょうか。
北海道の自然をどうするか、東京の人の決定に委ねていいわけありません
決して今の議員定数に固執しているわけではありません。
ただ「地域を代表する」ためには、人口だけでなく面積や環境・自然など国土も考慮に入れるべきと思うのです。

忘れてはいけないのは、「尖閣諸島」の所有権で起きた騒ぎです。
誰も住んでいない島の所有権を大騒ぎして東京都が買い取り、最終的に国有地になりました。
尖閣はたまたま領有権を主張する他国があるから、日本の端っこの島に関心が集まりました。
つまり、日本全土どこをとっても、どうなってもいいという土地は無いのです。
日本全体が日本人全員のものであり、同時に熊や猿やイノシシたちのものでもある、ということを忘れてはいけません。
それに日本人は、日本全土どこでも好きなところに移住することが出来ます。
これも「職業の自由」と並んで、贅沢な権利です。
「地方に住む人はその地方を守ってくれている」というくらいの鷹揚な考えを、都会の人にはもってもらいたいものです。

邦楽が牽引する音楽業界、邦画が牽引する映画業界

邦楽が牽引する音楽業界、邦画が牽引する映画業界

 

昨年2016年の国内の映画興行収入1位は、もちろん「君の名は。」の235億円。
ヒットと言われる水準の30億円を超えた作品は、昨年1年間で、14本でした。
この14本という数字を、どう捉えたらよいか。
さかのぼって、1980年代の10年間に30億超えした映画がちょうど14本でした。
つまり1980年代の10年間のヒット作数を昨年1年でヒットさせたことになります。
最近の映画業界は非常に活況を呈しているんですね。

ではそのヒットした14本のうち邦画と洋画の割合はどうか。
昨年の14本のうち邦画は9本、洋画は5本。
1980年代の14本は、邦画が3本、洋画が11本です。
明らかに邦画が洋画を逆転しています
昨今の映画の活況は邦画がリードしていると言えそうです。

ところでかつて同じようなことが音楽の世界でもありました。
私が中高校生だった1980年前後は洋楽が日本中を席巻していました。
当時は、普通の男の子が洋楽に傾倒する仕組みがありました。
中学生になるとビートルズで洋楽入門し、その後はブリティッシュロック、ヘビーメタル、ディスコミュージック。
逆に、当時の若者にとって、邦楽はあまりカッコイイものではありませんでした。
しかし21世紀になるあたりから、日本では完全に邦楽(J-POP)が洋楽を押し出しました。
音楽マーケットを拡大させながら。

映画もこの音楽と同じパターンを、なぞっているように見えます。
ハリウッドの大作頼みだった映画業界が、国内作品でお客を集めることが出来るようになったのです。
そうなら音楽がそうだったように、映画もまだまだ市場規模が大きくなるかも知れません。
日本の映画業界、有望です。