今が不動産屋の転換点
先日、付き合いのある不動産屋に行ってきました。
市内で一番取り扱い件数の多い老舗の不動産屋です。
そこの店長の話によると、最近は賃貸の飛び込み客がめっきり減ったとのこと。
3年前の半分くらい、とか。
「人の動きが減っているんですかね」と尋ねると、そうではなく「SUUMO(スーモ)」の影響が大きいということです。
リクルートが運営する不動産物件の紹介サイトですね。
この2、3年の間にお客の動きが、「とりあえず不動産屋に行って」から「まずはネットで調べて」に変わったのです。
SUUMO以前は、どこかに引越しするとき、とりあえず引越先の最寄駅に行って、駅前の不動産屋を巡るのが基本動作でした。
たくさんの物件を見るにはそれしかなかったのです。
これはお客にとっては大変な負担でした。
転勤で引越しするケースでは、業務の引継に並行して転勤先の不動産屋巡りですから、不動産選びに実質半日くらいしかかけられません。
奥さんも一緒に内見、なんてとても無理でした。
そう考えるとSUUMOなど紹介サイトの登場で、現住所にいながら転勤先の不動産を探せる、それも家族で一緒に探せるというメリットは大きいです。
不動産屋の飛び込み客が減るのも当然です。
今がちょうど不動産屋の転換点かも知れません。
いくら良い物件を抱えていても、お客が来ないのではその強みを発揮できません。
「管理物件は握りこむよりも公開した方が良い」
不動産屋の考え方の転換点です。
そうなると、これから先は一気に掲載物件が増えるはずです。
不動産屋の賃貸部門は、ネットショップになるのです。
ギターと製鉄とハンディキャップ
ジャズギタリストのパット・メセニーはすごい経歴の持ち主です。
彼の有名なボストンのバークリー音楽大学に入学して、2年目には請われて講師になってしまったそうです。
20歳ですでにギターテクニック・作曲・理論すべてが卓越していたんですね。
そのパット・メセニーが公演のため来日した時、誘われて行ったライブハウス。
そこでギターを演奏していたのは渡辺香津美さんでした。
最初のうちどっかり座っていたパットが、途中で眼鏡を取り出し、身を乗り出し、最後はそそくさと帰って行った、というエピソードがあります。
その記事は「その夜パットは、ホテルで朝まで猛練習したに違いない」と締めくくられていました。
その渡辺香津美さんも大好きです。
香津美さんは小柄ということもあり、指が長くない、というか短いです。
ギターは当然指が長い方がいいのですが、香津美さんはギターを始めた頃からそのハンディキャップを十分認識していました。
その上で自分のスタイルを確立すべく猛練習したとのこと。
ハンディキャップがあったからこそ、世界に認められるテクニックをもったギタリストになれたんですね。
ずいぶん前に経済誌で「日本の製鉄業がなぜ付加価値の高い製品を作れるようになったか」という記事を読んだことがあります。
お名前は忘れてしまったのですが、日本の製鉄業に多大な功績を残した方のお話が紹介されていました。
日本の製鉄技術が発達した一番の理由は、日本にいい鉄鉱石が無かったからだ。
日本にないから世界中から輸入するしかない。
世界中の鉄鉱石を研究して、作りたい製品に合わせた最高品質の鉄鉱石を輸入することに専念できた。
確かに日本国内に十分な量の鉄鉱石があれば、その鉄鉱石を使うことを前提に製品を作ってしまいます。
鉄鉱石が十分に無いというハンディキャップが、日本の製鉄を高度なものにしたんですね。
このギターと製鉄、二つの話は私の中でいつもセットになっています。
いきなりフラッグシップ戦略
フラッグシップ店(旗艦店)と聞くと、銀座や表参道、御堂筋のハイブランドの大型店舗をイメージします。
しかし最近は、新しい戦略をもった小ぶりなフラッグシップ店が出てきました。
それは中小企業が、新ブランドを立ち上げる際に、1号店をフラッグシップにするケースです。
いきなりのフラッグシップ店です。
例えば、銀座のスイーツ店の戦略。
銀座の路面に1号店を出した後は、店舗展開をせず、インターネット販売だけをしています。
つまり、ネット販売のために銀座にリアル店舗を出したのです。
また、麻布のお菓子屋の戦略。
麻布の新進のお菓子屋さんは、百貨店出店のために麻布の路面に店を出しました。
麻布に店を出したら人気が出て、百貨店からオファーが来た、というのではありません。
最初から百貨店への売り込みを目的に、麻布にモデル店を出したのです。
実際、2号店以降は百貨店で展開しています。
銀座の店はネット販売、麻布の店は百貨店を主戦場と位置付けています。
どちらも、「家賃の高い旗艦店のコストは、その主戦場で回収する」と最初から明確に決めています。
ハナっから、従来型の多店舗展開をするつもりはないのです。
この「いきなりフラッグシップ戦略」のメリットは、
① 勝負が早い
② 投下資本が少ない
こと。
あらかじめ事業の領域と成長戦略を明確に絞っているので、早い時期、例えば2〜3年で成否が決まります。
家賃の高い一等地の路面に出店しても、多店舗展開しないので、結局投下資本は莫大にはなりません。
従来は賃料の手ごろな場所に1号店を出し、ジワジワ育てて一等地で勝負する時機を窺がう、というのが一般的でした。
その間に数店舗出店して大きなお金を遣ってしまうことも。
「いきなりフラッグシップ戦略」は、資本の小さい中小企業に向いている戦略です。
Jリーガーとフットサルの関係
もう10年近く前に、会社の遊休物件をフットサル場にしないか、という提案を受けたことがあります。
提案をしてくれたのは、同じ市内ですでにフットサル場を経営している会社の社長で、その方自身が元Jリーガーでした。
その時に聞いた話で興味深かったのは、日本サッカー協会(JFA)は、フットサルをサッカーの一部として取り込んでいる、という話でした。
その理由は
①サッカー人口を少しでも多く計上したい。
②Jリーガーのセカンドキャリアとしてフットサル場を活用したい。
というものでした。
私はサッカーとは縁がありませんが、周りにサッカー関係者が何人かいます。
彼らを見ていると、国内のサッカーは、日本サッカー協会(JFA)を頂点に全国津々浦々の小学生チームに至るまで組織されているような印象を受けます。
その組織を通じて全国のタレントを発掘し、早い段階からJリーガー予備軍を構成しています。
近年の日本サッカーのレベル向上がその成果であることは間違いないでしょう。
Jリーガーをつくっていく過程は充実しています。
問題はJリーガーのセカンドキャリアです。
私の知人はJリーグ発足時の大阪のチームに所属していました。
それから何回か移籍をして30歳目前で、今年はもう契約更新は無理と思い、大型トラックの免許を取得しました。
スポーツ選手引退 → 大型トラック運転手、というある意味絵に描いたような転身です。
結局引退しましたが、サッカー関係の仕事に従事できました。
フットサル場が全国に増えれば元Jリーガーの就職先も増えます。
と同時にそこで練習する子供たちは憧れのJリーガーと触れ合うことが出来ます。
場合によっては指導を受けることも。
この経験はサッカー少年にとって大きな財産になることでしょう。
また元Jリーガーにとっては、将来のJリーガーを発掘するチャンスにもなるのです。
あれから10年、全国のフットサルのコート数は当時の4倍以上になっているようです。